人生模索中日記

人生後ろ向きに生きることも大事

従兄弟に言いたいこと

突然だが私には従兄弟がいる。父の家系に2人、母の家系に7人いる。

中学生の頃まではお盆や正月に親戚で集まって一緒に遊んでいた。特に父の方に1人同い年がいたのでよく遊んだものだった。市内に住んでいたこともあり、中学生からは同じ中学の同級生となった。

私は小学生のときは活発で、いい意味で何も考えていない馬鹿だったので友だちがたくさんいた。中学に上がると他の学区の子たちも一緒になることになったが小学生のときの友だちと小学生からのノリで特にトラブルなく友だちができた。と思っていた。

後から思うと従兄弟の存在のお陰でトラブルなく学校生活が送れたんだと思う。

前にもちらっと書いた気がするが私には顔に障害あるので新年度は億劫だった。小学生のときはよくからかわれていた。

中学生になるときもはじめは少しからかわれていた気がするが、1か月も経たないうちにそういうことはなくなった。私は(当時の)持ち前の明るさで解決したものだと思った。

3年生になると従兄弟と同じクラスになった。そこは配慮して違うクラスにしてくれるんじゃないのかと思った。実際双子だと別々のクラスになるというし。

従兄弟は明るくガキ大将タイプで授業中にボケてみんなを笑わすタイプだった。剣道をやっており筋肉質だったのでクラスの人気者だった。

3年になってすぐに従兄弟が先生にこのクラスに従兄弟がいまーすと言った。先生も知らなかったらしく、えっ誰なの誰なのみたいなリアクションをとっていたが今思えばすっとぼけていただけかもしれない。

そんな感じで私が従兄弟であるとバレたが、バレたといってとくに変わらず充実した学生生活を送ることができた。

 

順風満帆な中学生活を送っていたが、高校に入ってからそれがまやかしだったことに気づいた。ただ従兄弟に守られていただけだった。

学校で野球部と遊んだり女子と話したりしていたのでいい気になっていた。

完全に虎の威を借る狐だった。

 

私と従兄弟はたまたま同じ高校に入学した。それが大きな間違えだった。

高校時代は状況が一変して私は友達が出来なかった。中学まで仲が良かった子も距離を置かれるようになってしまった。高校3年間は誇張抜きで地獄の日々だった。

言い方が悪くなるが従兄弟の効力がなくなった。

私だけなら良かった。従兄弟も周りとうまくやっていないようだった。

明らかに私が原因だった。これといった決定的な出来事があったわけではないけど、従兄弟であるということはバレていたし、学校中に広まっていた。

あるとき、学校で従兄弟がグループの和に入ろうとしているのをみた。そのグループは明らかに乗り気ではなかったが、従兄弟は健気にそのグループに溶け込もうとしていた。また、私のことを嫌っているであろう人にも従兄弟は明るく接しようとしていた。結局、従兄弟はその人たちとは高校卒業までうまく付き合えなかった。中学まではガキ大将的な存在だったのに、高校では私がみてもわかるぐらい浮いていた。私はなんかとても申し訳なく感じた。従兄弟に合わせる顔がなかった。

ある日たまたま通学時に従兄弟と鉢合わせした。私が声を掛けようとしたとき、うつ向きながら足早に学校に向かってしまった。

ああ、当然の報いだなと思った。

それ以来お盆や正月の集まりでも会うのが気まずくなった。今まではトランプやウノ、ジェンガなどをしていたが、高校からは昼食を食べたら自室に籠ってしまった。

 

やがて大学進学となり、私は勉強を全然やってこなかったので地元の私立大に入学した。従兄弟は東京の国立大に進学した。中学まで頭がいい印象がなかったのでとても驚いた。

大学進学からは従兄弟と疎遠になった。いや、数回正月にあった気がするが、本当に挨拶程度だったと思う。そのときも目を見れなかった気がする。

書いている途中から中三の正月のことを思い出した。食事をしたあと、部屋で私と姉、従兄弟の3人で学校のことについて話した。原因は忘れたけど従兄弟が担任の先生にこっぴどく叱られて反省文を書いた話を聞いた。とてもここで言えるないようではないが腹を抱えて笑った。その時を思い出して涙が出そうになった。

 

卒業後は大阪の会社に勤めたと父から聞いた。地元にはあまり戻りたくなかったのだろう。今は完全に音信不通だ。父から聞けば分かるだろうが合わせる顔がない。

 

結局私は従兄弟に守られようとしていただけだった。何かあれば無意識に従兄弟を頼っていたのだろう。それが彼にとって負担になっていたことに気がつかず。

 

 

長々と書いてしまったが、結局何が言いたいかというと、ただただ謝りたい。

もう会うことはないのかもしれないが、もし会えるのならあの頃のことを謝りたい。