今の時代サブスクで映画も観れるし音楽も聴けるし本も読めるし便利だなあと思う。
小学生のころポルノグラフィティのアゲハ蝶を聴いて衝撃を受けた。こんなノリノリな曲があるのかと。
当時は本屋でCDを借りてきてラジカセでカセットにダビングしていた。ちょっとでも振動があると、曲が飛んでしまうので、音を立てないように慎重にダビングした。
その後曲を何度も聴きながら、歌詞を覚えていった。特にアゲハ蝶のようなアップテンポの曲は聴き取りづらかったので何度も聴いた。おかげで今でも歌詞は覚えている。
今思えば、CDに歌詞が書いてあるのでそれを書き写せばよかったのだと思うけど。
今でも音楽は聴いているが、どうしても昔の曲ばかり聴いてしまう。別に今の曲が嫌だというわけではないのだ。今の曲もいい曲はたくさんある。
でもやはり思い出と結びつくと、どうしても越えられない壁があるのだ。
そう思う自分は保守的な人間なのだろうか。
やはり小さい頃親が車で聴いていた曲や学生時代に聴いていた曲は思い出がプラスされる。
また、店で流れる有線や街なかで流れる曲は心に響く。とても失礼な話なんだけど、その曲をいざ家でじっくり聴いても
あれっこんな感じだったかな
と思ってしまう。
やはりシチュエーションやそのときの感情が大事なんだと思う。
去年の4月だった。社員として働いていた頃、新しく契約が取れた場所で人が足りないということでヘルプに駆り出された。
そもそも人が足りないなら入札するなよと内心思っていたし、もともとの現場も人が足りないので、ヘルプに行くなよと怒られた。
こっちも知らねえよと思っていたけど、とにかく謝ってタクシーに乗り込んだ。
雑に使われるし、理不尽に怒られるしイライラしながらタクシーで20分ほど離れたヘルプ先に行ったのだが、そのとき車内のラジオで山本コータローとウィークエンドによる「岬めぐり」が流れた。
橋の上を渡り、窓から田園風景を見て聴いていたその曲は心にグッとくるものがあった。
あのときの感情はなんなのか未だに分からない。
溜め込んでいたストレスが曲を聴いてなくなり、気が緩んだことで感情を制御できなくなったのか
現場から離れたことによって、急に仕事をサボって反対方面の電車に乗り込んだときのような開放感なのか。(したことないけど)
言語化できないが、とにかくグッときた。
もしかしたら「岬めぐり」ではなくても同じような感情になったかもしれない。
ただひとつ言えるのは、あのときの「岬めぐり」はもう再現出来ない。
改めて「岬めぐり」を聴いてみて思った。