タイトルはアメリカ民謡で坂本九さんが歌った曲でも知られる「幸せなら手をたたこう」の歌詞の一部である。
先日姪っ子が来たときおもちゃのピアノにこの曲が入っていたので聴いてみたらこの歌詞に引っ掛かってしまったのである。
なんかこの一文だけ言い方きつくない?
実際タイトルでこの文だけみたらなんだこいつって私なら思う。
ほんわかした空間で周りが手を叩いてニコニコしている中突然
「あのさあ、幸せなら態度で示そうよ」
っていきなり真顔で言われている衝撃を感じた。(昔先輩社員に詰められたこと思い出して謎の動悸が…)
なんか引っ掛かるなあと思ったが、態度で示すっていう表現が現在だとネガティブな状況で使われることが多いから抵抗感を感じてしまうのだろうな。やる気がない人や過ちを犯してしまった人に使うことが多いし。あとは命令されているとまではいかなくても強要されている感じがするのも原因だと思った。
本来ならポジティブな場面でも使用される言葉なんだろうけど、あまり聞かないよね。
ちょっと話が違うかもしれないけど、子供の供をひらがなにしたり障害の害を碍にしたりと言葉狩りみたいで私はあまり好きではないけど、こうやって言葉が変化していくのかなあと思った。
別に供や害が憎いほど嫌いなわけではないけど、ちょっと「ん?」って思ったり心に引っ掛かりを感じたりして、その些細なトゲが段々大きくなりちょっと対処しなきゃとなって排除されたのかなあと思った。
そう考えると私も無意識に言葉狩りに加担しているのかもしれない。
まあ難しいことは考えずに歌いましょう。
幸せなら態度でしめそうよ
ほら みんなで手をたたこう♪