人生模索中日記

人生後ろ向きに生きることも大事

救われる言葉

世の中には様々な言葉が溢れている。

そのなかで

「頑張らなくてもいいんだよ」

とか

「生きているだけで偉い」

など耳心地がいい言葉がある。

実際その場しのぎの言葉で、現状は何も変えられないと分かっている。

それでもやはりそういう言葉を欲してしまうときがある。

 

若新雄純というプロデューサー、実業家、大学特任准教授などはば広く活躍されている人がいる。現在は女性問題の不祥事のため、活動をやめているらしい。

若新氏がコメンテーターとして出演していたABEMA Primeの番組がある。

当番組では様々な社会問題について取り上げ、コメンテーターや専門家達が熱い議論を交わしている。

子供への性被害について取り上げたかなり踏み込んだ回がある。

精神科医の先生によると、そういう癖を持つ人は人口の数%の確率で生まれてくるというのが遺伝子的に組み込まれている先天的なものらしい。(もちろん100%そうとはいえないが)

私は議論の内容ではなく、若新氏が苦悩を語った小児性愛者の女性にかけた言葉に心を打たれた。

「当事者が悪意を持っているわけでもなく、実際に加害したわけでもなくて、その事(小児性愛者になる確率)を偶然引き受けただけであって、その人が自分が間違っているんじゃないかと傷ついて生きていくのは違うんじゃないか」

との言葉を発した。

「偶然引き受けた」という言葉に優しさを感じたし、障害がある私にとっても救いの言葉になった。

自分がなりたくてそうなったわけではない。私があなた達の代わりにその役目を引き受けたのだと。

弱っているときにそういう愛のある言葉は心に響く。持続性のない鎮痛剤みたいなものだけど。

 

しかし、そういう言葉に依存してしまうと変な宗教にハマってしまうので、ある程度線引きすることが必要だと思う。それが難しいんだけどね。