人生模索中日記

人生後ろ向きに生きることも大事

自分は自分、あの人はあの人

ここ数日心のモヤモヤが晴れないので今日は加藤諦三さんの本を読んだ。

気分が晴れないときや、自分と向き合いたいときは加藤先生(勝手にそう呼んでいます)の著書を読んでいる。初めて出会ったのは新卒で入った会社で精神的に参っていたとき。書店で『自分に気づく心理学』という本に出会ってからだ。

以降、Kindleで先生の読み放題の本が何冊かあるので気になるものを片っ端から読んでいる。

 

周囲の人と上手に付き合っていける人に対して妬みの感情を持ってしまった私に刺さった本があった。

 

自分が皆から好かれないといって、誰からも好かれ、誰にでも愛される人と同じような人になろうとすることはない。赤ん坊が横綱と相撲を取ろうとする必要はない。 小さい頃から困ったときに誰も助けてくれなかった自分が、勇気ある人と同じように生きられないといって悩む必要はない。 勇気ある人は、小さい頃に信じられる人がいた。困ったときに助けてくれる人がいた。 だから勇気のない人は、ただ勇気ある人を素直に尊敬すればいい。 勇気ある人を尊敬することは、臆病な自分を卑下することではない。勇気ある人を素直に尊敬することと、勇気のない自分を受け入れることは矛盾しない。 それが「自分は自分、あの人はあの人」ということである。「自分の位置が分かっている」ということは、こういうことである。 自分の位置が分かっていないということは、臆病なのに、勇気ある人のような充足感を求めることである。勇気がないのに勇気ある人のようなフリをしない。

加藤諦三 「弱さ」を「強さ」に変える心理学 PHP研究所                       

 

文章の一部を抜粋したので解釈違いかもしれないけど、コミュニケーションが苦手なら苦手でいいじゃん。ありのままでいいじゃん。無理に周りに合わせようとしなくていいじゃん。

ってこと。(ちゃんと全部読んだほうがいいです)

コミュニケーションが上手な人は妬むのではなく、その人のいい部分なんだなーと思えばいいこと。

 

前にも書いたけど出来ないことを無理にしようとすると自分も苦しいし周りも気を遣ったり作業量が増えたりして苦労する。

この本に書かれていたことなんだけど、肉体的ハンディキャップをを持った人がわざわざオリンピックを目指さずにパラリンピックを目指すのに、なぜ心理的ハンディキャップを持った人が幼い頃から親から愛され心理的に成熟した人と同じ土俵に立とうとするのか。

これとは状況は若干異なるけど、ハンディキャップがあるなら無理に健常者に合わせず身の丈に合ったことを精一杯したほうがいいよね。